連載「後援会員が語る齋正機作品の魅力」

 東日本大震災から丸10年となります。

「もう10年。まだ10年。」みなさまにとって捉え方はさまざまだと思います。

 

齋正機後援会としても何か出来ないだろうかと考えておりました。

震災前から、ふるさと・福島を描き続けている齋さんの作品を全国ひいては世界の方に少しでも紹介することが、

後援会として最も良い福島への支援ではないかと原点に立ち帰ろうと思いました。

 

そこで、齋正機後援会として新企画後援会員が語る齋正機作品の魅力」(仮題・後に企画名変更あり)を始めます。

齋さんの作品を後援会員が紹介する形で改めて福島の魅力をはじめとした作品の中にある様々な魅力をホームページやTwitterなどで発信できればと思っています。

(2021年3月11日)

 

※東日本大震災を風化させたくないという想いから月命日にあたる毎月11日を更新日とする予定です。

※作品画像の「Friends of Masaki SAI」は実物の作品には含まれていません。

 

 

第3回「トンボノ空ニ」(福島編) (2021年5月11日更新)

トンボノ空ニ

2020年(F15号) 日本画(紙本彩色) 箱根・芦ノ湖 成川美術館

参考:JR東北本線(二本松市)

 

「今日の柴又の空って、僕の大切な空なんだ。あれは子どもの頃から見てきた空なんだ」と赤ら顔で言う。

「でも、福島の空は格別。高村智恵子も言っている。安達太良山の上の空が”ほんとの空“だってね」と僕は自信ありげに笞えた。

「今日の柴又の空が僕の”ほんとの空”。だから、僕はその良さを描く」と、彼はすこんだ。

「福島の山近くの空は風が吹いて、いつでも美しい”ほんとの色の空“が見られるんだ」と僕は譲らない。

 

(齋正機 作・福島鉄道物語第22回〜ほんとの空「トンボノ空ニ」〜 2020年9月20日 福島民報掲載 より抜粋)

オンライン展覧会では福島鉄道物語の過去4回分(第1回、第13回、第15回、第21回)全文がでご覧いただけます。

 

 

智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながらいふ。

阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

 

高村光太郎 著 「智恵子抄」   「青空文庫」より転載 https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html

 

 

今回ご紹介している「トンボノ空ニ」は、2021年7月14日まで、箱根・芦ノ湖 成川美術館で開催されている齋正機展「新世代の日本画〜やさしく、あたたかな絵〜」で展示されています。

 

遠くに見える山が日本百名山のひとつ・安達太良山(あだたらやま)

貨物列車が走っているのは東北本線

手前が「安達ヶ原の鬼婆伝説」が残る「安達ヶ原ふるさと村」

 

詩人であり彫刻家でもあった高村光太郎。その妻・高村智恵子(福島県安達郡油井村字漆原(現・二本松市油井)生まれ)が言った「ほんとの空」が福島にはあります。

 

  

智恵子の生家・智恵子記念館(二本松市公式ウェブサイト)

https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page003220.html

 

安達太良山について(岳温泉観光協会HP)

https://www.dakeonsen.or.jp/adatarayama

 

東北本線(Wikipidia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/東北本線

  

安達ヶ原ふるさと村

http://www.michinoeki-adachi.jp/furusato/

 

安達ヶ原物語(二本松市公式ウェブサイト)

https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page001329.html

 

文責:齋藤洋之(齋正機後援会事務局長)

 

 

第2回「紅イ橋」(福島編) (2021年4月11日更新)

紅イ橋

Red Bridge

2015年(F30号) 日本画(紙本彩色) 箱根・芦ノ湖 成川美術館

参考:福島交通飯坂線 上松川橋(福島市)

 

 福島交通飯坂線は福島駅と飯坂温泉駅を結ぶ約10キロ、全12駅のローカル線である。

今では住宅や建物が多くなったものの、昭和の頃は10キロの道筋に、桃畑、りんご畑、梨畑があり、短い路線だが乗っているといろいろな風景に出会うことができた。

幼稚園の通園から始まり、小学校の遠足、福島市街に出掛ける時、中学校では自転車で並走したことも何度かあった。本当の意味で慣れ親しんだ鉄道である。

それどころか、人生の転機もだったな・・。そう、二十歳で美術系予備校に行くため福島を離れ、東京に出発する時も飯坂線。

もうすでに2浪目が終わっていて、3浪目からの東京行きだった。

 

(齋正機 作・福島鉄道物語第1回〜夕日の飯坂線「紅イ橋」〜 2018年11月1日 福島民報掲載 より抜粋)

※福島鉄道物語第1回は、全文がオンライン展覧会でご覧いただけます。

 

 

 齋さんにとって福島交通飯坂線(通称:飯坂電車、いい電)https://ii-den.jp は最も親しみのある鉄道です。

これまでに飯坂線を題材とした数多くの日本画を作成しています。2019年に齋さんの大規模な作品展が福島市で開催されたのを機に、福島交通主催で飯坂線を題材としたこども絵画展が始まり、その審査員を務めています。昨年(2020年)は、新型コロナウイルスの影響で福島市内の小学校の夏休みが極端に短くなったことで、開催できませんでしたが、今年(2021年)は、開催できる状況になることを願っています。

 2021年4月現在、飯坂電車のホームページに、「いい電こども絵画展2019」の特設ページが開設中です。

https://ii-den.jp/kaiga/2019/

子供たちの感性あふれる作品と、齋さんの温かなコメントをぜひご覧ください。

 

文責:齋藤洋之(齋正機後援会事務局長)

3300系車両

1976年(昭和51年)〜1982年(昭和57年)

いい電の歴史 福島交通・飯坂電車より https://ii-den.jp/about/history.php

第1回「拝啓 雪ウサギ様」(福島編) (2021年3月11日更新)

拝啓 雪ウサギ様

Dear Snow Rabbit,...

2018年(F6号)日本画(紙本彩色) 個人蔵

参考:吾妻小富士(福島市)

 

桃の花が咲くと現れる〝雪うさぎ”

種まきうさぎと呼ばれる〝雪うさぎ″

晴れていれば、東北新幹線福島駅ホームからもはっきり見える。

(齋正機)

                   

 吾妻小富士は、福島市西部の標高1,707mの山で、吾妻連邦のひとつ

すり鉢状の大きな火口があり、麓の福島市側から見るとあたかも小型の富士山のように見えることからこの名が付いた。

早春のころになると山肌に残る雪がウサギのような形に見えることから、この残雪は「雪うさぎ(吾妻の雪うさぎ)」と呼ばれ、

福島市民に春の訪れを知らせる風物詩となっている。

 

と、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には記載されていますが、

近年は温暖化の影響もあり、雪が少なく真冬でも「雪うさぎ」が見られることもしばしば。

このまま温暖化が進めば、「雪うさぎ」が見られなくなるなんてこともあり得るかもしれません。

 

 この作品は、後援会発足を記念して制作されたもの。発足式が開催され、事務局のある福島市を象徴するものとして描かれました。

齋さん曰く、「少し可愛く描いてしまいました。」とのこと。

実際の風景と見比べると・・・。

 

 写実ではなく、観たものを自分の中で解釈し、新たなものへ描く齋さんらしさのある作品かも知れません。

それゆえ、吾妻小富士を参考にしたと説明せずに観ていただくと、違う山の名前が出てくることもあります。

実際に、2018年に福島県猪苗代町で開催された「小さな展覧会」では、「これは会津磐梯山の絵ですか。」と複数の人から言われることがありました。

(会津磐梯山にも「雪うさぎ」があるそうです。)

もしかすると、日本各地に雪うさぎの兄弟がいるのかもしれませんね。

 

文責・写真:齋藤洋之(齋正機後援会事務局長)

 

雪うさぎのいる吾妻小富士(福島市中心部より)2021年3月11日撮影
雪うさぎのいる吾妻小富士(福島市中心部より)2021年3月11日撮影